5/30と31で、演劇制作ワークショップをした。UDCSさんの依頼だった。11名の参加者が、さよならキャンプ二人と一緒に活動した。
本番になると、近所の人や、知り合いなどが足を運んでくれて、芝居を観てくれた。廃墟感を滲み出していた建物に、風が通り、人が集まり、また建物として生き返ったような気がした。やって良かったと思った。
演劇ワークショップが好きだ。自分がスムーズに上手にファシリテーション出来てるとは思わないが、皆が楽しそうにその場にいてくれるととても嬉しく、やりがいをとても感じる。はじめましての人と、コミュニケーションを取りながら創作したり。演劇にまつわるゲームで楽しんだり。
知らない人と話せなかった自分が、今こうしていることに驚きがある。それも演劇に触れてきたからなのかなと思っている。演劇の可能性が無限に広がっていくように感じる。
演劇は、中動態そのものだなあと思っていた。たまたま家の本棚から一冊とり、昔読んだ本を読み返していたら、同じことを言っていた。
内容をあまり覚えていない本なのに、思っていたことが書いてあると、嬉しい。本が身になっているのだなと感じた瞬間だった。
文字を書いていると、大概の文章は人に見せるものなので、おかしくないかとか、きちんと言いたいこと書けてるかなどが気になりながら書くことになる。さらに、こういったブログやSNSとなると、どういうふうに思われたいとか、どう書くといいねをもらえるかとか、また一つ言いたいことの周りにフィルターが覆う。
自分の中の本当のことが書けたという記憶がない。どこか浮ついていて、どこかで聞いたようなことを言っていて、文章のリズムに乗ってうまくまとめているかのように書いている。
何とか自分の中の本当のことが書けるようにがんばりたいが、ただそもそも、本当のことが何なのか、人に言いたいことがあるのか、自分と向き合っていきたい。
昔から考えることが好きだ。そして、知的欲求が大きい。本が好きだ。
本を読んで色んなことを知って、それは知識ではなく知恵となって体に降りてくる。それが心地よい。
この前、ラジオをかけずに、音楽もかけずに、無音で運転していた。考え事をしながら。何か回答が得られたわけじゃないが、頭の中でぐるぐると思いが巡って、それだけで心地よかった。考えているだけで、心が満足したのだ。そういえば考えることをしてなかったな最近、とも思った。
暇があれば本を読み、そして考え事をしよう。それが幸せだ。
何となく、これは大きいぞと思った。建物がきしむ音が大きくなり、職場は地下にあり、しかしかなり揺れた。大きな揺れの中、机の下に隠れて、死ぬときはあっけないんだなと覚悟を決めたりもしていた。職場は、東京の江古田という場所。震源地は、関東だろうと思った。千葉の近海か、神奈川か。しかし、ネットを見て動揺した。東北が震源地らしい。焦った。すぐに実家にメールをすると、無事なことがわかった。そのあとも、立て続けに大きな余震が続いた。仕事にならないので全員帰宅することに。電車は全部止まっていて、とりあえず江古田から中野までバスに乗った。中央線は、総武線も含めて止まっていた。家がある三鷹まで歩かないといけない。意を決して歩き始めたすぐ、中野駅近くにある小さな電気屋でテレビが流れていた。外からも見れるようなものだった。異常な光景がテレビの画面に映っていた。海が、波が、黒い水が、車も建物も、簡単に何もかも吞んでいた。ほうきでゴミを掃くように、陸の上のものを波が全部運んでいた。建物や車は抵抗することなく、それが自然な動きだというくらい流れていた。
何が起きているんだろう。大変なことが起きている。二時間くらい歩き続け、家に着いた。そのうち、妻も帰ってきた。二人でテレビに食いついた。ついこの前、籍を入れたばかりだった。そして1か月後に浅草で式を挙げる予定だった。東北にいる親戚をたくさん呼んで。これからどうなるのだろう。なにもわからない。なにがわかるかもわからない。そんな不安しかない夜。
そんな3.11。から15年。