正月は毎年、妻の実家で過ごしてから家族で遠出する。去年は万博など色んなところへ行ったから近場にしようと、能登に行くことにした。能登町や珠洲市へ行ってきた。二年経った今でも、震災の傷跡があちこちにあった。そんな景色を眺めながら、記憶に留めておこう。後日このことを知人に話そうと思いながら見ていた。
宿に泊まって本を読んでいたら面白くて止まらなくなった。「死なれちゃったあとで」前田隆弘著
面白いという感想はどうかと思うが、身近で亡くなっていった人たちについて書いた本だ。ぼくも何人か死なれちゃった人である。そのやりきれない想いがこの本にやさしく包んでくれるような文章で書いてあって、少し救われた。救われても引っかかるんだろうな。解決することはないんだろうな。そんなことを思いながら、能登を後にした。
「PERFECT DAYS」という映画を観た。主人公は毎日毎日、同じような日々を送っていて、何も変わらないような毎日を送っているように思った。しかしラストの方で、何も変わらないなんてあるわけない、というような台詞を口にする。とても胸に刺さった。
おそらく一日一日を丁寧に、それこそ何も変わらないような毎日を生きていると、太陽が朝登ってくる位置とか、木々の色、風の調子、人々の空気、いろんな変化に気づくことができるんだな。立ち止まって見ると気づくことがあるんだなと思った。
来年は一日を丁寧に生きたいと思った。
良いお年を。
先日、中高生演劇ワークショップの成果発表公演があって、今年の活動の締めくくりのようなものになった。今までよりも、中高生と密に芝居を作っていたからか、終わるのが寂しい。もう会えない子もいる。さよならばかりしている。
昔とても好きだった魚喃キリコさんがもうお亡くなりになっていたと聞いた。亡くなって1年経つという。悲しい。鬱屈とした漫画を描いてその空気がとても好きだった。酒ばかり飲むようになったのも、ハルチンとその終わりにあるナナナンを読んだからといっても過言ではない。
実の姉が入院して大きな手術をしたそうだ。
なんだか今月はあまり調子が良くない。気分が上がらない。そんな自分でそのまんま過ごすしかないな。
一人一人とても懸命に生きている。
故郷の八戸で大地震があった。母親にLINEしたら、花瓶などが落ちて割れたけど、大丈夫だから心配しないでとのこと。
体は無事かもしれないが、不安とかショックとかそういうのがあるだろうから、無事とは言えないのかもしれない。花瓶は、花がいけてあったのだろうか。花で心をあたたかくしていたのかもしれない。けど、花が無くなってそんなこともかなわない。
自分の中で、寄り添いたいという思いが出てきたけど、遠いところにいるから気軽に行けない。揺れていない福井で特に変わらない毎日を送っている。
なんで自分は福井にいるんだろう。そんなことまで思ってしまう。自分を育んだ人、土、風。そこではない場所で、何事もない時間を過ごす自分に、少し腹が立つ。
数年前まで、毎年2月になると精神面で不調をきたしていた。理由はわからないけど、鬱屈として、笑顔が消える。何をしても楽しくなくて、酒ばかり飲んで、自己嫌悪が強くなる。それが常だったのが、ここ数年はそれが無くなった。それはそれで理由はわからないが、過去の自分を振り返ると多分、ここ数年の社会参加の増加が理由として大きいんじゃないだろうかと思っている。
自分の過去を知る人は、自分がどうしようもない人間であったことを知っている。今でもどうしようもない人であるかもしれないが、その時は、若かったし世間知らずで、子どものような思考だった。世界が自分を孤独にさせて、誰も自分のことを見てくれない。どうにかして自分を見てもらいたくて、異常な自我を他人に押し付けていた。そして自分の周りから人が消えていった。
自分は大したことがない人間なのだと、これでもかというくらい思い知った後に、たくさんのやさしい人々に出会って、少しはやさしくなれた。やさしくしないと、誰も見てくれないのだなとわかった。いつしか、自分の孤独は消えていった。
そうして、福井に来て演劇を始めて、さよならキャンプを始めて、地域、学校、福祉施設、様々な団体や個人からお声がかかって、社会参加が多くなった。小学校に行ってお礼の手紙に「来てくれてありがとう」という内容が書かれてあって、自分が何のために生きているかを実感した。自分がどうしようもない人間だと思い知ったからこそ、自分を受け入れてくれる人にものすごいありがたく、感謝の気持ちが湧いてくる。40年近くかかったけど、自分が他者のためにがんばれる舞台を見つけた気がした。誰かのために生きたいと、恥ずかしがらずに素直にもっと早くなっていたらよかったなと思った。
そしてぼくの周りにいる人たち、いつもありがとう。おかげさまです。
フェリーニの「道」という映画に出てくる台詞が好きだ。
「この世で何も役に立たないものはない。この石ころだって何かの役に立ってる」